ふくてんの人間0年生雑記

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【魚の神経締め】意味は?痛みは?かわいそう?色々と調べてみた。

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こんにちは。
ふくてんです。

今回は「魚の神経締め」についてです。

 

最近、YouTube界隈でも「トミックさん」や「きまぐれクックさん」などをはじめとした「魚を捌く動画」が人気を博していますね。


私も料理が好きなので、おふたりの動画は毎日のように拝見させて頂いているのですが、その中で気になるのが「魚の神経締め」


生きている魚を捌く時に神経を抜く作業があるのですが、その瞬間に魚が「ビクビクッ!」って痙攣して非常に痛そうな動きをするんですよね。

 

何度見ても慣れない場面ではありますが、その度に「命を頂いているんだな」という感謝の気持ちに向き合うことができます。

 

しかし、同時に「そもそも魚の神経締めはそこまでする意味があるのか?痛みはあるのか?」など疑問に思うことがどんどん湧き上がってきました。

 

今回は同じように疑問を感じている方の為に「魚の神経締め」について、調べてまとめてみました。

 

 

魚の神経締めと意味は?

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神経締めとは、死後硬直を遅らせる為にワイヤーなどを使って魚の中枢神経(延髄と脊髄)を破壊する処置です。

 

なぜ、遅らせる必要があるのかというと魚の鮮度を保つ為なのですが、わかりやすく説明します。


この世に生きとし生けるものには必ず「死」が訪れます。

実は魚の「死」には以下の段階があります。

①絶命

②死後硬直(鮮度が落ちていく)

③完全硬直

④解硬

⑤腐敗

神経締めは、この鮮度が落ちていく「死後硬直」を遅らせることで鮮度を保つのです。


魚の体内には筋肉の収縮や発熱に大きな役目を果たすATP(アデノシン三リン酸)と呼ばれる物質があり、死後硬直後からうまみ成分の「イノシン酸」へと変わります。

 

死ぬのが遅くなると神経を通してATPがどんどん消費されていく為、素早く脳死させて、神経を抜く必要があるという事です。


しかし、神経締めだけでは魚の鮮度を保たせるには不十分で、腐敗が進みやすい「血液」を抜く「血抜き」という作業も必要です。

 

 

痛みはあるの?

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神経締めの動画で魚がのたうち回っているのを見て「凄く痛そう…」と素直に思ってしまいました。

 

昔から「魚には痛点がなく、痛みを理解するほどの機能が脳に備わっていない」とよく言われてきました。

 

これについては、未だに科学的にはっきりとした答えは出ていません。
ずっと長い間、痛みが「ある派」と「ない派」の間に論争が繰り広げられています。

 

犬や猫などの動物は痛みを感じた時に苦痛の悲鳴や表情を浮かべますが、魚には表情がない上に声も出さない為、見た目での判断が非常に難しいところですね。


しかし、近年の研究では「魚は痛みを認識する受容器なるものがあるのではないか」という事が明らかになってきました。


研究チームによると

マスに傷害的刺激を与えたところ、刺激を受けた患部の体温が上昇し、故意に唇を砂利や水槽に擦り付けるなど、もがいた反応が見られた。


これは条件反射ではない反応をしている証拠であり、哺乳動物が持っている痛みを受容するポリモーダル受容器に非常に近い。

だそうです。

 

もし、この研究結果が本当であれば驚くべき事です。

 

もちろん、この研究結果だけでは「魚には痛覚がある」と位置づけるには安直ですが、「魚に痛覚はあるのか」という論争に大きな一歩を踏み出したのは確かなようです。

 

 

まとめ

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要約すると

●『神経締め』は魚の命を美味しく頂く(鮮度を保つ)為の大切な処置。

●『魚の痛み』は最近の研究で実は痛覚があるのではないかとされてきた。

という事です。

 

もし、魚に痛覚があるとしたら、動物愛護ならぬ魚愛護の問題が生じてきます。

 

漁獲方法や養殖方法など、魚に無用な痛みや苦しみを与えていないか

無用に苦しみを与えているのであれば、改善できることではないか…など

漁獲や養殖のルールを根本から見直す議論が勃発する事が想像できます。

 

また、キャッチ&リリースや日本伝統の踊り食いなどは最たる問題になるかと思います。

 

しかし、私達は魚が痛がらないから食べているのでしょうか?

魚に痛覚があったら食べないのでしょうか?

 

"あなたならどうしますか?"

 

世の中には千差万別の意見を持った方々がいます。

 

その中で何よりも大切なことは、人の意見に流されるのではなく、さまざまな意見を受け止めた上であなた自身の考えを見つける事だと思います。

 

少なくとも今回の調査は私にとって「自分なりの考えを持つ素敵な機会」となりました。

 

無数の命の上で生かされている事に改めて感謝したいと思います。

 

それでは、また。